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ウェルビーイング

良質なアウトプットを生み出すため。ココロとカラダ、個人と組織の「幸せ」のマネジメント集

“当たり前”の大切さに気づいた町で
かけがえのない日々を積み重ねる

2022年02月15日

西崎 芽衣さん

一般社団法人ならはみらい 事務局

1992年生まれ。東京都八王子市出身。高校を卒業後2012年に立命館大学産業社会学部に進学しメディア社会を専攻。ゼミでは、阪神淡路大震災被災地域をフィールドに住民主体のまちづくりを研究。東日本大震災の被災地支援で岩手、宮城を訪ねたことをきっかけに、ボランティア団体「そよ風届け隊」を立ち上げ楢葉町に通う。大学4年の時に1年間休学し楢葉町で働く。復学し就職活動で東京の企業から内定を得るも辞退。2017年4月に楢葉町へ移住し、ならはみらいの職員となる。2019年3月に結婚、一児を出産後2022年1月職場への復帰を果たした。

震災を通して出会った楢葉町の人たちとの交流で、それまでの価値観が大きく変わったという西崎さん。「家で食卓を囲んだり、眠りに就いたりといった、震災後避難により奪われた“当たり前”こそが、かけがえのないものだと再認識することができました」。東京での就職活動が自らの価値観を見直すきっかけとなり、楢葉町に戻ること、福島の復興の力になることを決意。そして、生涯のパートナーとの出会い、第一子となる娘の出産を経て、ゆったりとした時間の中でこれまで見過ごしていた楢葉の魅力に改めて気付くことができたという。産休、育休を経て妻として母としての新たな視点を持ち、ならはみらいの仕事に復帰した西崎さんに、これまでの取組や今後の展望についてうかがった。

自分たちの意思で始めた
楢葉町でのボランティアから

にこやかに挨拶を交わし、町のあちこちから「みんなの交流館ならはCANvas(キャンバス)」に集まってくる人たち。1階の多目的室で輪になりストレッチ体操で体を動かす人たちがいると思えば、2階のワークスペースでノートパソコンを見つめ仕事している人たちの姿もある。互いの存在を感じながら、様々な年代の人たちがそれぞれの活動を行っている。

「ならはCANvasは、みんなで一軒の大きな家を建てるイメージで出来た施設です。仕切りが少なく1階と2階は吹き抜けになっています。楢葉に戻った人も、まだ戻っていない人も、ここに来たら誰が来ているか分かるよう、交流が図りやすい設計になっているんです」

そう案内してくれたのは、ならはCANvasを運営する(一社)ならはみらいの職員として働く西崎さん。

2階からも1階の様子が一目でわかるならはCANvas

ならはCANvasの準備段階から関わる西崎さん

大学時代を京都で過ごし移住して来た西崎さん。そもそも楢葉町と関わるきっかけを尋ねてみた。

「震災後に被災地支援の授業で、岩手県や宮城県を訪ねていましたが、仲間たちと福島県へも行きたいという話になりました。それで立ち上げた『そよ風届け隊』が、私が楢葉町と関わるようになったきっかけです。楢葉町の仮設住宅に年3〜4回通い、足湯に浸かってもらいながら町民のみなさんと話す活動を行い、数人とは大学のある京都と楢葉で文通する間柄になりました」

「ある日、文通していたおばあさんから、楢葉の避難指示はいずれ解除になると思うけれど、町には戻らず避難先のいわきに住むことにしたという手紙をもらいました。『みんな元の場所に戻るわけではない』のだと私はショックを受けました。数年間ボランティアをして、福島が元の姿に戻るものだとばかり思っていたんです」

1年間の臨時職員を経て
内定を辞退し楢葉へ移住

福島の現状をきちんと知るためには、京都から通うのには限界があると感じ、楢葉に住むことを決意した西崎さん。2015年ならはみらいの臨時職員となり、最初の研修の一環で仮設住宅を全戸訪問した。避難先に暮らす町民を対象にした、楢葉町の復興視察ツアーの企画、町民主体によるまちづくり組織の立ち上げ、学生ボランティアの受け入れなどを担当し、この時にならはCANvasの設立準備にも関わった。

「私が所属していたゼミの教官である乾亨教授は、阪神淡路大震災後の神戸市長田区真野地区などさまざまな地域をフィールドに住民参加のまちづくりを専門に研究しています。市民が意見を出し合ったアイデアをもとに建物をつくる事例もお持ちでした」

西崎さんは、行政のならはCANvas担当者が町民の意見を取り入れた施設づくりをしたいと考えていることを知り、乾教授につないだ。それから、住民の意見を取り入れる施設づくりが始まった。楢葉町主催のワークショップが何度も開催され、町民の思いが反映された現在の施設のカタチが出来上がっていった。

天井が高く仕切りが少ないこと、床やむき出しの天井に木材をふんだんに使っていることで、開放感があり家にいるようにくつろぎを覚えるならはCANvas。

「町民のみなさんが、七夕に笹飾りを持って来てくれたり、正月に松飾りを持って来てくれたり、作品展示をしてくれたりと、この施設を大事にしてくれているのがうれしいですね」

すべて順調に思える西崎さんの活動だが、自らの能力に限界も感じたのだと言う。楢葉とは将来的に関わろうとの思いを持ちながら、一度大学に戻り都内での就職活動を始めた。内定が決まったのは大学4年の6月だった。

「就職活動で話す内容は楢葉のことが多く、面接を受けるほどに楢葉で自分の価値観が大きく変わっていたことに気付き、このまま就職するのは違うんじゃないか、という気持ちが芽生えました。避難指示が解除となり、復興が加速している時期に“楢葉で、楢葉の人たちと時間を重ねる”ことが大事だと思ったんです。結局内定は辞退しました。親にはしばらく黙っていましたが(笑)」

仮設住宅で文通していたおばあさんと再会(写真左)
大学の授業でボランティアでの活動を発表(写真右)

内定を辞退して、卒業後は楢葉に移住すると決めた西崎さんだったが、その時点で希望するならはみらいの募集があるかどうかは分からなかった。他に思い当たる働き口と言えば、コンビニかガソリンスタンドのアルバイト。それでも良いと先に楢葉で住まいを探した。運良く年末にならはみらいの募集がかかり、採用となったのは卒業間際だった。

今では考えられないと当時を振り返る西崎さん。楢葉に対する熱い思いが、彼女の背中を押したということなのだろう。一連の行動力には感服させられるばかりだ。

就職してからは、ならはCANvasの企画・運営等を担当していた西崎さん。2021年は育児休暇を取得、2022年1月から復職した。会社の近くにあるこども園にわが子を預け出勤、何かあれば昼休みや休憩時間に駆けつけられるので安心して働いているようだ。

現在の主な担当は、インターン生の育成や新規事業の調査・立ち上げ業務。コロナ禍でリモート授業を利用して大学に通いながら、ならはみらいでインターンをしている学生のフォローを行っている。この事業は、今年度は試験的な運用だが、来年度以降募集をかける予定になっている。ならはみらいでは、移住者を増やす取り組みにも力を入れている。西崎さんは、今後自らの移住した経験が生かせればと考えている。

コロナ禍の中でオンラインを活用した企画も行っている

最悪の日を最良の日へ。
結婚と出産と子育てと

西崎さんは2019年3月11日、仕事を通じて知り合った男性と結婚。入籍にこの日を選んだのはどんな理由があったのだろう。

「夫は津波で住み慣れた自宅を失いました。心の整理をつける時間もなく、その後も仕事に追われる毎日だったと言います。3月11日は夫にとって人生で最悪の日だったかもしれません。震災は不幸な出来事だったかもしれませんが、震災がなければ私が楢葉に来ることも、夫と出会うこともありませんでした。夫はこの日に結婚することで、これまで最悪だった3月11日を最良の日に変えていきたいと言ってくれました」

「何もなくなった自宅跡地は、一時除染廃棄物の仮置場となりその後国内最大級のさつまいも貯蔵倉庫になりました。以前とは様変わりしたその跡地で、避難指示解除後、夫が一人で3月11日にキャンプを始めました。結婚後はその場所で家族とともに過ごす時間を作っています」

西崎さん一家は、ご主人が以前住んでいたのと同じ地区に住んでいる。周りには、小さい頃からお世話になった住民も暮らし、田舎らしい昔ながらの近所付き合いがあるようだ。結婚して地域に自然と溶け込むことができるようになったと話す西崎さん。子どもが生まれてよりライフスタイルが変わったと言う。

「産休、育休をいただき、日常の楢葉をゆっくりと楽しむ時間ができました。家の目の前に広がる田んぼや、吹き抜ける風、やってくる虫や動物たちから、改めて四季の移ろいを実感させてもらいました。これまで見えてなかった楢葉が見えてきました」

楢葉で見た忘れられない風景が
日常が当たり前でないと教える

西崎さんには、いまも目に焼き付いて忘れられない震災後の風景があると言う。

「板張りになった竜田駅舎と周辺の住宅地の風景です。家の中に放置され白く枯れ果てた植物。無理やりこじ開けられたままの自動販売機。家はあるのに全く物音がせず、風だけが通り抜けていくんです——」

避難指示解除前の町民が誰も戻っていない頃、楢葉に来て最初に見た風景は彼女に強烈な印象を残した。

日が暮れると真っ暗だった場所にも、避難指示が解除され日に日に家の灯りが増えていくのが分かったという。

「ある日は花が植えられているのを、またある日は犬を連れて散歩している人を、次の日は井戸端会議しているおばさんたちを、別の日は自転車に乗ったおじさんを、見つける度に仲間内でニュースになりました。楢葉でのそんな体験があったからこそ、みんなでご飯を食べたり、自宅で安心して布団で眠ることができるといった、“当たり前”こそがかけがえのないものだと再認識することができました。だから、特別なことをしようというのではなく、そういう時間を何よりも大切にしていきたいんです」

育児も仕事も元気いっぱいに取り組む西崎さん

「いま改めて思うのは、自分の選んだ道は間違いじゃなかったということです」

西崎さんは、生まれて来た娘に灯(ともり)と名付けた。娘の名を呼ぶと、母は広がる暗闇に明かりが灯った時の感動を思い出すことがあるのかもしれない。

自宅前に広がる一面の田んぼ

仕事とプライベートの両立を図りながら、西崎さんは “当たり前”に感謝して、大切な家族とともに一日また一日とかけがえのない日々を重ねていく。

ならはみらい

「きずな・安心・活力」を理念に、2014年に設立された一般社団法人のまちづくり会社。楢葉町の真の復興を目指し、生活再建、コミュニティー作り、交流人口の拡大、商業施設「ここなら笑店街」や交流施設「ならはCANvas」の運営など、様々な事業で町民の生活をサポートしている。