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未来テクノロジー

テクノロジーが拓く、豊かな未来。挑戦し続ける人と企業をクローズアップ

腰痛のない世界へ。福島から目指す「一家に1台マッスルスーツ」

2020年02月19日

中川 誠也さん

株式会社イノフィス 福島研究所 所長

1961年、佐賀県唐津市生まれ。幼少の頃からロボットやモノづくりに関心があり、高校卒業後は東京理科大学工学部で「動的再構成可能ロボットシステムに関する研究」を行う。卒業後は大手家電メーカーの半導体部門で生産技術に従事した後、2016年にイノフィスに入社。2019年5月より現職。

2019年12月、イノフィスが総額35億3000万円の大幅な資金調達を達成。そんなニュースが飛び込んできた。国内外から投資を受けて注目を集める同社が注力するのは、人工筋肉を用いて人の動きを補助するロボット「マッスルスーツ」の普及・拡大だ。生産拠点の1つである福島県内の現場と、研究開発を担う東京本社および東京理科大学小林研究室との橋渡しを担うのが、福島研究所所長の中川誠也さん。「人のためのロボットを作る」という発想から生まれたマッスルスーツの開発秘話と、今後の展望をうかがった。

身に着けるロボット。
自転車のように、人をアシスト

日本のみならず、国外からも熱い視線が福島県に注がれている。視線の先にあるのが「マッスルスーツ」。東京理科大学の小林宏教授の研究室から端を発したベンチャー企業「イノフィス」が開発したロボットだ。

「ロボット」とはいえ、このマッスルスーツ、他の産業ロボットやヒト型ロボットなど我々が想像しがちなロボットとは一線を画している。人が直接、体に装着し、動きを支援するウェアラブルなロボットなのだ。

「ロボットのカテゴリーとしては、確かに非常にユニークな存在かもしれません。けっこうアナログな見た目ですし。見る人によっては『ローテク』のロボットに映るかも知れません。自転車のように、人間の機能を拡張してパワーを強化する『道具』に近いんです。あくまで人が動こうとするのをパッシブにアシストしているので、主体にあるのは人。その点が、とてもユニークでしょう」

こう話すのは、イノフィス福島研究所所長の中川誠也さん。

その言葉どおり、ひとたびマッスルスーツを身に着ければ、しゃがんだ体勢や中腰の体勢が驚くほど身軽になる。同時に、「人を抱え上げる」「重い物を持ち上げる」「中腰の体勢を保つ」といった作業時に起こる腰の負担が飛躍的に軽減される。これまでの重労働や作業、働き方を一変させる装置として、注目されているのだ。

マッスルスーツを装着したところ。バックパックを背負うように肩紐を掛けて、腰から太ももにかけて固定して装着。試しに20kgの荷物を持ち上げたが、力を込めて踏ん張ることなく、軽く上に持ち上げる程度の力で持ち上がった。装着も実に簡単だった

重要なのは、装着感。
現場の声を開発にフィードバック

その仕組みは、こうだ。要となる、体の軸(腰と太もも)を支える人工筋肉には、空気圧を加えることで非常に大きな力で収縮するMckibben型(マッキベン型)を採用。背中のフレームに内蔵された人工筋肉が収縮すると、人工筋肉と太もも部分のフレームに繋がったワイヤーが引っ張られ、背中のフレームを起こす。その際に発生する反力を「ももパッド」が支えることで、人の動作が補助され、最大で25.5kgf(キログラムフォース=物質に掛かる力の単位)の補助力を発揮するという。

Mckibben型(マッキベン型)の人工筋肉。ゴムチューブを筒状のナイロンメッシュで包んで両端を止める構造だ。装着時は、装着者自身が手元の空気入れで空気を入れて、引張力を調整。大きなアシストを望む場合は、空気をたくさん入れる。アナログだが、壊れにくく、高い操作性と信頼性もユーザーから好評だ

「当初は、内骨格型で全身に人工筋肉を付けた仰々しいものでしたが、改良を重ねて肩から背負うバックパックのような現在の外骨格スタイルになりました」

2000年から開発が進められ、実用化に向けて一気に進んだのは約10年後。そのきっかけは、訪問入浴介護サービスを行う企業からの強い要望だったという。

「訪問入浴介護の現場では、介護スタッフが寝たきりの利用者さんのベッドのそばにバスタブを置き、お湯を張って2人がかりで体を抱えて入浴の介助をしておられます。実は、そうして働くスタッフの多くは、50歳を前にして腰を悪くして退職されてしまうケースが少なくないそうです。毎日、大変な肉体労働に従事するわけですから、むしろ体に支障を来さないほうが不自然なのかもしれません。こうした、介護の最前線で働いている方々をアシストできる製品が欲しいという強いニーズを持っておられ、その声が発端になり、腰に負担のかかる現場で働く人々をサポートすることを目的に、東京理科大学で2013年に現在のマッスルスーツの原型が実用化されました」

外部のコンプレッサーを使って空気を供給する従来のタイプに加えて、訪問入浴介護のように大掛かりな装置が使えない家庭用にと、小さなタンクに高圧の空気を入れたコードレスタイプの製品も、これを機に開発。さらにその後、電力が不要の現在のタイプになり、作業中にも装着者が手動で空気を入れられるため、稼働時間の制限なく使えるようになった。

このように、実際に現場で装着した際の「作業者の生の声を大切にしながら、改良をひたすら繰り返してきました」と中川さん。

「身に着ける人は、それぞれ筋肉量も違えば、身長や体型も異なります。個人に合わせて多様なサイズを展開することも1つの解ですが、価格を抑えての量産体制を考慮すると、サイズを2種類に限定して汎用性を高めたほうが合理的です。その点には、開発者の小林教授の当初からのこだわりがありました。実現のためには、様々な方が身に着けたときの感じ方を聞き取って設計にフィードバックし、改良を加えていかなければなりません。この作業に終わりはなく、今後も繰り返していくことになるでしょう」

実用化を後押ししてくれた
福島県と、菊池製作所

何度となく、改良を重ねてきたマッスルスーツ。試作機の高速なアジャイル開発を支えたのは、東京都八王子市に本社を構える菊池製作所だ。同社は、飯館村や南相馬市をはじめ、福島県内に9つもの工場を営み、とりわけ工作機械やロボットのプロトタイプ作りを得意とする。R&Dに特化するイノフィスにとって、菊池製作所の卓越した技術力とスピーディーな対応力は欠かせないものだった。

「どの製品もそうですが、マッスルスーツも机上の設計どおりに量産できるモノではありません。開発者が自ら着用し、かつ実際に使用するユーザーから装着した感覚を聞き取り、次のモデルに取り入れて完成形に近づけていくもの。組み立ててみて初めて問題点に気づくこともあり、だからこそ、このサイクルを早く回すことが重要です。菊池製作所さんは、志の高い社長が1代で築かれた企業でとにかく試作が得意。難易度の高い要求にも応えてくれ、しかも非常に短納期で試作品を作ってきてくださるフットワークとその技術力に大いに助けられています」

福島県との関係も深い。「マッスルスーツの研究開発活動には『地域復興実用化開発等促進事業費補助金(経済産業省・福島県)』に採択いただきました。ここ福島には、福島イノベーション・コースト構想の下、開発だけでなく、工場建設や量産、販売、さらには雇用まで一体となって企業を支援する仕組みがあります。我々も、開発の後押しをしてくれた福島に恩返ししたいという思いを強くしています」(中川さん)

後ろに見えるのが、歴代の販売モデル

「腰痛に国境はない」
浜通りから世界へ製品を発信したい

中川さんがイノフィスに入社したのもまた、不思議な巡り合わせだった。在学していた年代は違うものの、マッスルスーツの生みの親でイノフィス創業者の小林教授とは、東京理科大の同じ研究室の出身だったことから、請われて参加することになったのだそうだ。

「ある一時期、現在は世界最大の電気電子関係の専門家組織、米国電気電子学会IEEE(アイ・トリプル・イー)の会長を務められている福田敏男先生が東京理科大にも籍を置かれていたんです。学生たちに自由に研究をさせてくれたとてもユニークな、そしてとても厳しい先生でしたが、小林教授も私もその門下生。今も、福田先生の研究室で開く忘年会が恒例なのですが、そのつながりで小林教授から誘われたのがきっかけでした。マッスルスーツの開発を手伝ってもらえないかと。ちょうど、タイミングも良かったんですね」

約3年間、小林教授主導のもと、東京本社で研究開発と量産立上げに携わった後、2019年に福島市の立地支援や助成制度を受けて開設した福島研究所の代表に就任。単身、福島県に移り住んだのだという。「新幹線を使えば、東京まで2時間もかかりません。けっこう、近いですよ」(中川さん)。菊池製作所の南相馬工場と物理的に近い距離に拠点ができたことで、PDCAサイクルも大幅に圧縮できたという。

「量産のラインに乗った後に起こる様々な問題点に素早く対応できるようになりました。私が南相馬の工場の近くにいて、東京の研究開発部門や東京理科大との橋渡しになることで、開発のスピードが上がるという利点が生まれています」

ショールームを兼ねた研究所の一角には、中川さん専用の加工スペースが。「簡単な作業ならここで済ませられます」

現在、マッスルスーツは介護の現場をはじめ、物流、建築、農業など、全国の事業所に導入され、国内から飛び出して香港、台湾など国外へも販売網を広げようとしている。

「腰痛に国境はありませんから、将来的にはさらなる軽量化を進め、単価を下げて世界中の人が家庭で手軽に使っていただけるようになるのが理想です。腰痛になってから病院に通うのではなく、マッスルスーツにより、腰にかかる負担を減らす。そうした考えを、浜通りから世界に向けて発信していきたいですね」

「ただ、小林教授の志向と私も同じなのですが、実は社会課題の解決が目標というように、大上段に構えているわけではないんです。それよりも、人の困り事に寄り添えるような製品を開発していきたいという気持ちが強い。それが結果的に社会の課題を解決できるものならば良いですね。マッスルスーツを起爆剤にして、今後も人を補助するオリジナリティーに富んだ装置を発信していきたい」

浜通りから世界へ。作業現場での働き方はもちろん、ライフスタイルを変え得る力を秘めたウェアラブルロボットの次なる展開を中川さんは見据えている。

スタッフの安齋明美さん(写真左)と。福島研究所は、JR福島駅から徒歩5分程度の立地。「ぜひ、気軽に足を運んでください」

株式会社イノフィス

「すべての人が、生きている限り自立した生活を送る世界を実現したい」。そんな思いの下、問題を抱えたユーザーの困り事解消を果たすために開発を行う東京理科大学発ベンチャー。「マッスルスーツ」の実用化を機に2013年に同大学小林宏教授が創業。2014年に販売を開始し、現在3モデルを取り扱う。