特別講演、調査研究部門活動報告会を実施しました

2022メモリアルイベント「キオク ツナグ ミライ」最終日の3月12日、浪江町前副町長の宮口勝美さんの特別講演と、伝承館調査・研究部門活動報告会が開かれました。

宮口さんは「手探りの広域避難~全町避難の実態~」をテーマに、東日本大震災と東京電力福島第一原発事故直後から現在までの町の歩みや、どのような思いで町の復興に力を尽くしてきたかを語り、広域避難の教訓を示しました。

浪江町は震災時、人口約2万1千人のまちで、震災と原発事故により全町民が全国各地に分散避難を強いられました。町民を支える役場職員も同じ避難者であり、劣悪な職務環境により体調悪化で倒れる人がいました。宮口さんも血圧の上昇や有名な桜を見ても心が高揚しないなど、心身に異変を感じたと振り返りました。

宮口さんは「広域避難計画がなかった」ことが避難の過酷さにつながったと指摘しました。「避難先の決定、交渉もゼロから全て自分たちで行いました。避難所も仮役場も受け入れ先に主導権があります。自分の自治体から離れるということは自由裁量がきかないということです」と苦労を語りました。

一部避難指示解除を実現し、役場機能が浪江町に戻った後も、家族が避難を続けて単身赴任になる職員がいます。長年、災害対応をしていたため、戸籍や農政、建設関係など役場の通常業務の経験者が極端に少ないという課題に直面しました。また、町民の大半が町外にいる現状に触れ「役場が町に戻っても、住民が戻らないことには町の再生はうまくいきません」と危機感を語りました。住民の減少が町の財政に影響を与える懸念があり、「(人口減の)責任を被災自治体にのみ負わせることがあって良いのでしょうか」と訴えました。

最後に、宮口さんを副町長に任命し、2018年6月に死去した前町長の馬場有さんとの思い出を語りました。職員に厳しかった馬場さんが、震災に対応する職員のひたむきな勤務態度を見て意識が変わり、「職員とともに震災を乗り切る覚悟」を決めたそうです。宮口さんは馬場さんについて「発災以来、『町に戻る人も、戻らない人も、迷っている人も浪江町民。町はその一人ひとりに寄り添っていく』という信念は揺るがず、最後まで全身全霊で『町残し』に取り組まれました」と振り返りました。

 

伝承館調査・研究部門活動報告会では、高村館長のほか、安田仲宏、関谷直也、開沼博の各上級研究員が2021年度の研究活動について報告しました。4班に分かれ、各班所属の客員研究員らとともに発表しました。

各班の発表概要は次のとおりです。

〇 館長 高村 昇(長崎大学原爆後障害医療研究所)

テーマ「福島の環境と人をつなぎ、伝える」

福島県内の空間放射線量や放射性物質の沈着状況の分析や伝承館語り部の発言内容の分析、住民の放射線被ばくリスク認知調査を通じて福島の環境と人をつなぎ、さまざまな経験を伝える研究について報告しました。

 

〇 上級研究員 安田 仲宏(福井大学付属国際原子力工学研究所)

テーマ「これまでの放射線防護対策のふり返り、現在、そして未来に」

各種事故調査報告書や地域の震災の記録から良好事例と問題点を抽出。反省すべき点を明らかにし、研究の方向性を検討。現状の対策に照らして改良すべき点を指摘。原子力防災の拠点として地元と連携し、伝承館から全国に、世界に発信する研究活動を報告しました。

 

〇 上級研究員 関谷 直也(東京大学大学院情報学環総合防災情報研究センター)

テーマ「原子力災害の調査研究」

被災住民の経年調査、地域の課題、若者の意識など、共同で継続している実証的な調査研究について報告しました。放射線のみならず、人の心理も見えないものだからこそ、調査など実証的研究を積み重ね、現状を明らかにしていく必要があると指摘しました。

 

〇 上級研究員 開沼 博(東京大学大学院情報学環)

テーマ「消えゆく記憶・記録のアーカイブはいかに可能か」

震災と原発事故に関する記憶・記録をいかに残すか報告しました。例えば、ここ11年にわたるSNS上の福島関連の言説をいまから収集しようとしても、そのコストや手間は想像以上にハードルが高いことを伝えました。