映画「家路」トークイベント開催

東日本大震災と原子力災害が起きた福島県の被災地や住民の心情を描いた映画「家路」(2014年公開)に関連したトークイベントを1月22日、当館で開催しました。無観客で行い、当日の模様はYouTubeで生配信しました。生配信の模様はこちらです。https://www.youtube.com/watch?v=o-Zx4fARWYI

久保田直監督、農業指導やロケ地提供などで映画撮影に協力した福島県川内村の農家・秋元美誉(よしたか)さん、高村昇館長が登壇し、フリーアナウンサー小野寺彰子さんが進行役を務めました。ロケが行われた2013年当時と現在の状況を比較し、復興にかける想いなどを語り合いました。

「家路」とは「自分の家へ帰る道」のことです。

川内村は東京電力福島第一原発事故で全村避難を経験し、映画の撮影は避難指示が出ていた村内で、行政の許可を得て行われました。

久保田監督は撮影を始める前、いち早く村で水稲栽培を再開した秋元さんの「先祖代々続いてきた土地を守りたい」という、強い責任感に感銘を受けたといいます。

秋元さんから「ちゃんとした土ができるまでには百年かかる。除染(放射性物質の除去)で表土を5センチ剥いだとしたら、五百年を持っていかれるということなんだ」との言葉を聴き、「先祖から受け継いだ土地に帰り、生きていくこと」=「家路」を映画の題材にしようと考えたそうです。

秋元さんは放射性物質の影響を受けたであろう水田で米の作付けをすることについて、県から反対されました。それでも「つくってみなくちゃ、わかんねえべ」との思いで説得し、ほとんど全てを廃棄すると約束し、栽培します。検査の結果として米から放射性物質は検出されず、川内村の農業再生の一歩となったといいます。

トークイベントを見守っていた遠藤雄幸村長は「秋元さんから『百姓の意地』を感じた。復興は意地、生きがい、プライドを取り戻すことだと学んだ。勇気をもらった」と感謝の気持ちを伝えました。

なぜ、いち早く村に戻って米の栽培ができたのか聞かれた秋元さんは「みんな(復興にかける)気持ちは持っている。私はなりわいが農業だから農業をやった。それだけです」と語りました。

秋元さんは主演の松山ケンイチさんに熱心に農業指導しました。種をかき混ぜるシーンでは「愛情をこめてやんなくちゃなんねえ」と、演技のやり直しを求め、久保田監督も松山さんも納得のいくシーンとなったとのことです。久保田監督は「福島で試写会をした際、農家のかたに『自分も農業を再開したくなった』と言われた。秋元さんのおかげです」と振り返りました。

久保田監督は「秋元さんがいなければ映画の半分以上は作れていない。つくるものへの愛情、気持ちが大事だと学びました」と振り返りました。

 

トークイベントでは、撮影に臨んだ松山さんの他、田中裕子さん、安藤サクラさんを連れて訪れた富岡町の商店街について、ロケ当時と、建物の解体が進んだ現在を写真などで見比べました。久保田監督は「復興が進んでいくと思っていた商店街から店舗が無くなっていてショックを受けた」と率直に語りました。

これからの被災地について質問を受けた高村館長は「川内村は人口が8割戻った。伝承館のある双葉町は準備宿泊は始まったが、人口はゼロのまま。」と紹介し、復興の進度に差がある現状を伝えました。その上で「住民一人一人に(震災後の)11年がある。戻りたくて戻った人、悩んでいる人、戻れない人。それぞれに古里があるのは変わらない。それぞれの人生なんだと感じている」と語りました。

小野寺さんは「お互いの事情を理解しながら、福島を好きでい続けたいですね」と結びました。

 

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